Tuesday, January 24, 2012

カタツムリの右巻き・左巻きはいかにして進化してきたか


突然ですが、カタツムリの殻には右巻きと左巻きがあります。
多くの場合右巻きが主流で、左巻きを見るのは稀だそうです。今回はそれがなぜ稀か、そしてなぜそれでもなお生き残っているかについて話をします。


-進化と種分化
よく日本語で「進化」という言葉が使われます。もはや世界的に有名なあのゲームでもよく使われますね。あのゲームで行われているアレは「変態」だそうです。変態(metamorphose)とはごく短い期間に著しく形態を変えることを言います。
他方「進化」は、形態が変わることの一因として遺伝的なものがある場合にのみ当てはまります。世代間で形態やその他の特徴(分布やその特徴を含んだ個体数の割合含む)が変わることなので、長い時間を必要としています。
ちなみに英語では"evolution", 中国語では「演化」という言葉が使われ、「前進する」といったポジティブな意味合いはないそうです。

種分化(speciation)とは進化プロセスの一つで、なんらかの事情で交配不可(厳密な現象については後述)になった種が別れて進化することを言います。
例えばリンゴAとそれによく似たリンゴBがあるとします。リンゴに卵を生むハエがいて、それらリンゴに別々に卵を産みます。そこから数ヶ月して幼虫が成虫としてリンゴを食い破って出てきますが、問題はリンゴが熟す時期です。リンゴAは5月に熟し、リンゴBは9月に熟すとします。この場合双方のリンゴから出てくるハエは出会う機会がなく、それぞれ同種のリンゴから出てきたハエとしか交配しなくなります。これが種分化です。また卑近な例で言うと、人とチンパンジーは種分化の関係にあります。
種分化の関係にある動物同士は交配が不可能ですが、それは自然な交配が不可能で、またよしんば交配したとしてもなんらかの問題が起きるという意味です。例えばライオンとトラをかけ合わせて作られたライガーは、子孫を残せません。


-右巻き・左巻きカタツムリの謎
カタツムリの右巻き・左巻きは種分化の結果です。「平ら」(いわゆる普通にみる)カタツムリは右巻き同士、もしくは左巻き同士としか交尾ができません(なお平らでないカタツムリも存在します。彼らの巻の向きは交尾においてあまり重要ではないようです)。右の写真がその交尾の写真です。(あきき様(http://azukigai.blog98.fc2.com/?no=354)より転載)。
そのため左巻きのカタツムリは交尾相手の数が絶対的に少なく、進化としては一見矛盾しているように思われます。これならばあっさり淘汰されてもおかしくないが、進化し生き残ってるにはそれなりの理由があるはず。この謎を解いたのが細将貴先生です。次項に氏の仮説と検証を書きます。


-右利きヘビの仮説
氏は左巻きカタツムリが比較的多く生息する西表島に着目しました。西表島に生息するイワサキセダカヘビは右巻きのカタツムリを食べるという噂を聞きつけたからです。イワサキセダカヘビはカタツムリを食べる際、丸呑みではなくきれいに殻だけ残して捕食します(動画:閲覧注意)。ヘビの存在が巻の向きに関わっているのかもしれない、そう思って氏はヘビを捕獲し、仮説の検証に取り組みました。
イワサキセダカヘビの下顎の歯の数は左右で違っており、右巻きのカタツムリを食べるのに適していました。更に左巻きのカタツムリは高頻度でヘビの捕食を逃れています。これにより、左巻きのカタツムリは捕食者であるヘビから逃れるために進化した結果であると結論づけられました。

細将貴先生は学部生時代からこのアイディアを思いついており、この発見で進化の謎の一つを解きました。31歳という若年ですが、彼はイワサキセダカヘビとカタツムリでは世界一です。世界一にならなきゃ意味が無い、という研究者としてのシビアなお言葉を載せて本稿を閉じることにします。では。


参考文献
本稿は2012年1月22日オランダのライデン市にて行われた勉強会での会話を中心に、発表者である細将貴先生のネットインタビューで補完しつつまとめられています。言葉(特に専門用語)の誤用については編者が責任を負います。
以下に氏のインタビュー記事を載せます。また2月には本稿に関する氏の本が発表されるそうなので、興味が有る方はそちらもあわせてお読みください。

インタビュー
・日本進化学会奨励賞受賞記:「右利きのヘビと私」
http://sesj.kenkyuukai.jp/images/sys%5Cinformation%5C20111114200040-DB164BC02BD9DEE68BBF8E76AB9722787A49390FC228BFE89C59C773A5C3A175.pdf
・東北大学生態適応グローバルCOE;「生物多様性は可能性」
http://gema.biology.tohoku.ac.jp/interview_hoso_masaki-1.html
・宮城の新聞:「左巻きカタツムリの進化はヘビが引き起こした/そもそも科学ってなんだろう?」
http://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20110223.php
書籍
「右利きヘビの仮説-追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化」
bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4486018451.html

Friday, January 20, 2012

TPPとカリフォルニア効果

※本稿はTPPの是非を問うものではありません。Vogel(1995)の"Trading up"を下敷きに論を進めています。


-カリフォルニア効果と国際貿易規制
「デラウェア効果(Delaware Effect)」と「カリフォルニア効果(California Effect)」という対概念をご存知でしょうか。これらは国際貿易と国際規制をめぐる動きを説明したものです。

国際貿易が隆盛するにつれ、自由貿易肯定論調が高まっています(自由貿易とは関税等を撤廃した貿易のことです)。他方で自由貿易を推進した結果国内産業が壊滅させられてしまうのではないかという懸念もあります。そのために規制がかかるわけです。
規制の中には関税と非関税障壁があります。非関税障壁をどのように定義するかが本稿のもう一つの焦点です。

前述の効果に話を戻しましょう。
デラウェア効果とは、デラウェア州が行った企業誘致の方法にその名前を由来しています。デラウェア州はアメリカの中で最も基本定款(corporate charter)にかかる金額が少ないことで有名です。他州と競いあった結果誘致に最も有利な金額設定を可能にしました。
カリフォルニア効果はこれもカリフォルニア州の政策に由来しております。こちらはCO2排出量に関わる規制で、カリフォルニア州はアメリカで最も厳しい規制を設定しました。当該州は比較的面積が広く豊かであったため、この結果企業は厳しい規制を避けるようにはならず、逆にカリフォルニア州の規制に合わせるようになりました。
まとめると、
・デラウェア効果:低い規制水準で企業誘致、企業のマネージャーが最も得をする。
・カリフォルニア効果:高い規制水準で企業誘致、環境と消費者が最も得をする。

カリフォルニア効果は、更にもう一つの概念「洗礼者と密造業者の連携(Baptism-Bootlegger coalitions)」に支えられています。これは2つのアクターの思惑が一致した場合手を組んで規制を強化するというものです。洗礼者は国内のお酒の消費量を減らしたいと考え、密造業者はお酒を闇市で売って儲けたいと考えています。密造業者はそのため市場にあるお酒を減らそうと、洗礼者と協力して規制強化運動を展開するようになります。
これは例えば(他国の同産業より優っている)国内産業と環境保護団体が手を組んで国内規制を守るといったものです。またこれにより貿易の自由度が高まれば高まるほど国内規制の呼び声が高まります。当たり前のように聞こえますが、これの帰結が先述したカリフォルニア効果です。


-非関税障壁

Vogelによれば非関税障壁の基準は
1,干渉が適切・必要か
2,規制の意図が非関税障壁とみなされるか
(あと2つVogelは挙げていますが、TPPとは関係無いので省略します。)

1は例えばEUのホルモン漬け牛規制です。EUはホルモンを注入された牛の輸入を消費者の安全と健康を理由に規制していますが、それが輸入を規制する理由として十分科学的に正しいかどうかが争われます。
2は、アメリカのメキシコからのマグロ缶規制です。これは非関税障壁ではないとみなされていますが、その理由は、アメリカの漁師を守るためではなく水資源を守るためであるからです。国内経済を理由にした場合非関税障壁とされてしまうところ、環境問題を理由にした場合には非関税障壁とはみなされませんでした。


-TPPとカリフォルニア効果
上記を踏まえて、カリフォルニア効果とTPPを結びつけてみます。
TPP(Trans-Pacific Partnership, 環太平洋経済協定または環太平洋パートナーシップ)は関税及び非関税障壁の撤廃を目的としています。

カリフォルニア効果が正しければ、この非常に自由度の高い貿易協定のもとでは日本国内が規制強化の方向に動くこととなります。ここでの規制とは非関税障壁以外のことです。それらは上述した非関税障壁の定義から考えられます。具体的には、1,極度に不必要な規制撤廃の回避、および、2,国内利益保護ではなく環境問題解消等の理由付け、です。TPP参加の是非を問う段階では国内産業保護の論は有効だったかもしれませんが、仮に参加をすることになった場合は前述の2点による規制以外は切れるカードがないことになります。
またここで面白いのが、デラウェア効果も同時に顔を出しているということです。アメリカによる軽自動車規格撤廃などがいい例ですね。これは環境ではなくビッグスリーの利益を考えた結果です。これにアメリカの環境団体がどのように反対しているかが気になるところです。日本にとって最も強力なBaptistは彼らですから。
TPPの話がもう少し話が進んでからまた書きます。


参考文献
Vogel, D. (1996) "Trading Up: Consumer and Environmental Regulation in a Global Economy"

Wednesday, January 18, 2012

経済発展に「信頼」は必要か

記念すべき学術記事第1回目は、フランシス・フクヤマの"Trust: The Social Virtues and the Creation of Prosperity"(邦題:「信無くば立たずー歴史の終わり後何が反映の鍵を握るのか」)を軸にちょっと話します。

-フクヤマとその他学者の「信頼」論
フランシス・フクヤマは1996年にこの”Trust”を出版しました。ものすごく簡単に論旨を述べると、Trust(信頼)の高い国の国民はその信頼の高さ故に大規模企業を立ち上げる能力に特化していて、他方信頼の低い国は零細企業や家族経営にとどまるということになります。信頼の高い国というのは(フクヤマに言わせれば)アメリカ、日本、ドイツなどで、低い国は中国、フランス、イタリアなどです。見知らぬ人を信頼できる人が多いほどその国は信頼が高いということになり、これが大規模企業を運営する上での鍵だとフクヤマは論じています。
これらの国の信頼度が本当に高いかどうかは後ほど述べます。

以下はフクヤマの論を補完する、他の学者からの抜粋です。
そもそも信頼とはなんぞや、という話ですが、これについてはMisztalという学者が綺麗に定義しています。信頼とは、"to hold some expectations about something future or contingent or to have some belief as to how another person will perform on some future occasion. To trust is to believe that the results of somebody's intended action will be appropriate from our point of view."(Misztal, 1996)(訳:将来または偶発的な何かについて期待を抱くこと、または将来の状況における他人の行動にある信条をもつこと。言い換えればある人の意図した行動が我々の観点からいって適切な帰結をもたらすと信じること)。
フクヤマの論に通じますが、Gambette(2000)は信頼に「人の絆」や「価値観」を含めていません。複雑化した社会で協働するには、これらはあまりに脆弱だからです。中国やイタリアなどでは家族的絆が強い半面赤の他人を信頼するというものが欠けていることになります。
なお個人間、ミクロレベルの信頼と国内ルールや慣習といったマクロレベルの信頼は相互に影響しあうため、個人間信頼が高いというのはシステムとしての信頼が高いというのと同義としてよいと思われます。修身斉家治国平天下ですね。

さて上記の論もひっくるめてフクヤマの論を見ると、多少引っかかる所があります。
1)中国の発展を説明できない。
2)上記3カ国の信頼度数は本当に高いのか。
です。

-データからみる「信頼」
検証しようとぐぐってるうちに面白いデータを見つけたので紹介します。アメリカのコンサルティング会社ASEP/JDSがまとめた「信頼の国際間比較」です。
これは他人を信頼できるかどうかをアンケートで調べたもので、指数が100以上は多くの人が他人を信頼できると考え、100以下は他人と接するとき気を張っているとしたものです。
最高がノルウェーの148.0、最低がトリニダード・トバゴの7.5。
フクヤマが高い信頼を誇る国として数えた日本、アメリカ、ドイツはそれぞれ79.6、78.8、75.8(上位18,19,20位)となっており、そこまで高いとは言えません。上述した問い2はデータ上ではあまり信ぴょう性のある言説とは言えなさそうです。
上位に目を向けると、9位ニュージーランドまでが信頼指数100以上の国であり、1位から5位まで1国を除き北欧諸国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)が占めています。例外1国はどこだと思いますか。中国です。信頼指数120.9。フクヤマの言う「高信頼国」に大差をつけての4位です。

なぜ中国の信頼指数がここまで高いかという問題に対して、いくつかの仮説が考えられます。
1)アンケートを取る場所が都市に固まり、バイアスを生んだ。
2)儒教的家族観がヨーロッパ諸国の家族観と違い他人への信頼を育んだ。
これらの仮説はまた別の機会に検討したいと思います。

まとめ

ASEP/JDSのデータとフクヤマの言説から、信頼と経済発展に関して3つのタイプをまとめます。
1)高信頼・中経済モデル:北欧諸国。高信頼は独自の福祉政策からきている可能性が高い。ここでの信頼は経済規模とは無関係。
2)高信頼・高経済モデル:中国。高経済は高信頼からくるというフクヤマの論に当てはめれば納得のいく結果。
3)中信頼・高経済モデル:日本、アメリカ、ドイツ。戦後~20世紀後半に栄えた経済圏。
2・3から、高度経済成長中には高信頼が必要とされ、成長後安定期に入ると信頼を縮小するというのが一旦の仮説です。中国が安定期に入った後、この高すぎる信頼がどのように変遷していくかが一つの指標になると思います。


参考文献
フランシス・フクヤマ(1996) 「信無くば立たずー歴史の終わり後何が反映の鍵を握るのか」
D. Gambetta (2000) "Trust: Making and Breaking Cooperative Relations"
B. Misztal (1996) "Trust in Modern Societies"
(参考文献の書き方ちょっとめちゃくちゃですが、個人ブログなんで見逃して欲しいです。読んでいただきありがとうございました)

はじめに

このブログでは学術的な内容の記事を中心にポストしていきます。現在自分が在籍しているUniversity College Utrechtの講義で扱われた資料や自分で集めた論文・情報等を翻訳して紹介していきます。
自分の能力不足で情報の欠落や誤読が多々出てくるかもしれません。そのような事態は少なくするよう努めますが、気になった場合コンタクトを取っていただけると幸いです。